2014年08月23日

西梅田のだまし絵

西梅田地下鉄駅からJRへ向かう通路にだまし絵がある。
少し迫力は少ないが、街には遊び心のスポットが
少ないだけにハットする面白さがある。002.JPG
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2012年07月27日

「弧愁サウダーデ」

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「新田次郎の絶筆引き継ぐ」
 新田次郎は「弧愁サウダーデ」でモラエスを取り上げ、モラエスの終焉の地徳島へ渡る前までのストーリーを書き上げ亡くなる。新田はサウダーデの意味を体感するためポルトガルを取材するため訪問、
私もリスボンのモラエスの生家を訪ねた。次男の藤原正彦氏が徳島以降のモラエスの足取りを引き継いで書く意志を表明していた、待ちに待っていた。漸く正彦氏が決心された記事を見てうれしくなった。
正彦氏も父が訪ねたポルトガルを訪問している。西洋乞食と徳島で揶揄され、アルコールをあび自宅で
死去したモラエス、いかに日本と日本の女性を愛したとは言え、望郷の想いは計りしれないものがある。サウダーデをどんなに表現されるのか興味がある。
もう少し「モラエス」のことを綴って見たい。
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2012年06月26日

「ギリシャの吟遊詩人」

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 「ソング ライター ジョウージ・ムスタキ」
 小椋桂からこのムスタキの存在を知った。CDを買って早速聴いてみた。低音で語りかけるような
 歌声。両親はギリシャ人で1934.5亡命、ムスタキはエジプトで誕生。「異国の人」で成功、世界中の
 ファンを獲得、1973年に東京音楽祭にゲスト招待、来日している。「ヒロシマ」「私の孤独」
 「ポルトガル」「アレクサンドリヤの思い出」、CDに収録されている。この歌声には予期しなかっ た思い出がある。この話は次に譲る。ギリシャは現在財政崩壊で大変な状況であるが、ヨーロッパ諸 国に翻弄され、独立戦争、軍事政権、つらい歴史を持っている。華やかなギリシャ文明だけではな  い。両親の故郷アレキサンドリヤへの望郷は一方つらい思い出でもあるのであろう。ムスタキの唄は
 歴史の重みがズシンと心に響く。

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2012年05月04日

「信楽の登り窯」

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「登り窯」
 何十年振りか信楽を訪ねた。信楽祭りで案内状を知人から貰ったからである。
 若いアーチスト達が廃屋を利用して、現代アートを展示、
 中には面白い作品もあったが、時間がなくゆっくり見れず。
 廃棄された登り窯や、使用されていない登り窯
 何基があるようである。
 一基、家屋もない野ざらしの登り窯が目を引いた。
 朽ちようとしていた。一番奥の外壁が高熱のためか
 ビイドロ化、経年の味わいで抽象画を観るようであった。
 タイルを張り詰めたように等しくひび割れている。
 所有者の老人が隣で、保存の限界とこぼしていた。
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2012年03月26日

「ブータンの踊り」

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「ブータンの祭り」
エグザイズのメンバ−のひとり、USAさんがブータンの踊りに挑戦、BS放送を見た。
「チャムテクリ」の踊り、複雑な振り付けではないが、かなり全身を使う踊りであった。踊り手は神になる。踊りの目的は村人のために踊る、他人の幸せのために踊り続ける。
「よかった よかった あなたに会えて」
感動した。USAさん頑張った。なんとか踊りきった。神に近づくことはできなかったが、踊りの真髄に触れた旅ではなかったかと素足で踊る姿に感動した。
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2012年03月01日

「女子サッカー・アルガルヴェ杯」ポルトガル

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「ポルトガルでの女子サッカー」
2/29ポルトガルの南部の「ヴィラモウラ」で開催中の女子サッカー「日本VSノルウエー」戦をTVで応援、2:1で快勝した。W杯予選、ウズベキスタンに1:0で男子は負けただけに、日本女性は強い。
試合会場は「ファーロ」に近い、この街には4年ほど前に行ったので懐かしい限り。大西洋と地中海の間のカデイス湾に面して、漁村と有名なリゾート地である。ファーロには飛行場もありリスボンからの
定期便がある。イスラム勢力終焉の地でイスラム色の強い建物が多い。古い市街地は中世の街そのもの。今気温20度ぐらい、私も2月頃の旅であったが日差しが暖かった。一泊したので浜辺を歩いた。
北欧の観光客がジョクングしていた。見たこともない黄色の花が咲いていた。ブラジル原産と聞いた。

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2011年09月16日

共時性

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「上中里の百日紅」
9/11に「JR上中里」駅の近くに用事があり東京へ出向いた。駅前通りの坂道に百日紅の並木がピンクの花が盛りを残していた。こんな並木を見た記憶がない。帰宅後、9/13この「上中里」駅で若い男性の投身自殺発生報道で知る。驚いた。この駅のホームで東京駅まで一緒の知人が腎臓がかなり悪くなっていると、体調を訪ねたら言葉が返ってきた。帰宅後NHKで腎臓特集、腎臓透析が激増している。何か妙な符合が気になった。過去にある人を思っていたら阪急十三駅で偶然その人に会った体験がある。やはり共時性はあるのだろう。
「百日紅」も夏になるといつも気になる花である。実家に白とピンクの花が咲いていた。つるっとした幹の感触を覚えている。幹はなかなか太くならない。上中里駅前の並木はかなりの年期がたった樹木なのであろう。何回も来ているのに花がないので気付かなかった。
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2011年09月10日

ポルトガルのオリーブオイル


「オリーブオイル」
ポルトガルへスケッチによく旅をした。ワインと塩はよくお土産に買ってきたがオリーブオイルは帰国してから味を知った。サラダ、豆腐、焼き鰯、なんでもよく合う。現地で使用したらさらに味が美味かもしれない。
ポートワインも大好きである。夜11:00ごろ一杯飲む。
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2011年06月09日

広島

6月に広島県立美術館で光陽会広島展が開催中で出品していることもあり、立ち寄った。
立派な美術館である。2月に東京で開催その巡回展、8月には京都市美術館で開催する。
広島訪問は3回目、妻同伴。街に緑が多い、以前の市長が緑化に力を入れたらしい。並木に「せんだん」の樹木が多く、今開花中、何故この木が植樹されたのか理由があるのかもしれない。知らない人が多い。市中に河が多い街である。めずらしく市電が走る。それぞれ型式が異なるのが面白い。市電があると街という感じがする。
都市化して日本から市電が消滅した。大阪も御堂筋を市電が走ったら街としての情緒が醸しだされることであろう。小さなポルトガルの市電は街の風景に欠くことのできないものになっている。
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2011年06月06日

牛窓(佐竹徳画伯)

2011.6.1牛窓の「瀬戸内市立美術館」を訪ねる。ここのオリーブ園に魅せられ30年以上、山腹の赤い屋根のアトリエで油彩画の制作を続ける。100歳で逝去するが90歳前後の時、このアトリエを訪ねたことがある、気楽に自らお茶を入れてくれた。実に気さくな人柄であった。制作は現場にキャンバスを立てて描く。重厚な作風、別室のアトリエで制作中の作品は見ることができなかったが、いつかじっくり鑑賞したいと思っていた。
亡くなって瀬戸内市役所牛窓庁舎内に美術館オープン。今回これぞ具象の油彩画、存分に観賞することができた。セザンヌに傾倒した時期があり筆致と色彩が色濃く感じられる作品もある。物を極めると具象も抽象化する。100歳まで描き続けた、その作品の繊細さと迫力に圧倒された。20年ぐらい描いてうまくなることはないのである。DSC01390.JPG
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みちのく(カド)

山菜と一緒に「カド」を御馳走になったことがある。「カド」はニシンを焼いたもの、アイヌ語で生ニシンのことを「カド」という。新庄地方では春に「カド」祭りがある。ニシンは(春告魚)とも言われ雪国の貴重な蛋白源として食されたのであろう。魚は大好きであるが食べ方が不得手で、この「カド」も味は良いが小骨が多く
食べるのに難渋した。皆器用に食べている。やはり山里の酒の肴には山菜と岩魚、ヤマメ、鯉料理が合う。
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2011年05月26日

みちのく(イザベラ・バード)

この小学校を卒業した友人によると校舎と運動場は50年前と少しも変わっていないという。大きな樹木が芽吹き、新緑の枝を一杯に伸ばしている。1878年イギリスの女性旅行作家、イザベラ・バード(40歳)がこの地を訪ねる。「今朝新庄を出てから険しい尾根を越えて非常に美しい風変わりな盆地に入った。ピラミッド形の杉の林で覆われ----その麓に金山町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。」(日本奥地紀行)に記している。7月16日にこの地に滞在。虫に刺されて新庄の町で医師の治療を受ける。治療代に1円支払い、医師がびっくりしたと記している。イザベラは明治11年6月より3カ月かかって東京から北海道まで旅を続ける。小学校の前にイザベラ訪問の記念碑が建っている。
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みちのく(立石寺)

「立石寺」は仙台から山形へ向かうJR仙山線の途中にある。「山寺駅」下りて徒歩7分の距離、車窓からも見える。奥の院まで1015の石段、天台宗創建860年、「山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして特に清閑の地なり。一見すべきよしひとびとのすすむるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず麓の坊に宿かり置きて山上の堂にのぼる」
「閑さや岩にしみいる蝉の声」 「奥の細道」より
今回の震災で山寺に被害はなかったのであろうか。津波に飲み込まれた仙台空港へ行くのに2年前この山寺を後にした記憶が甦る。
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2011年05月25日

みちのく(最上川)

芭蕉は1689年5月27日尾花沢を発って、山寺に向かい天童を通って大石田に向かう。6月1日大石田を発って新庄へつく。新庄から最上川を下る。「五月雨をあつめて早し最上川」
新庄から日本海の酒田へのJR線は最上川に沿って走るローカル線、ゆったり流れる緑色の最上川は実に美しい。酒田に近づくと車窓の右には「鳥海山」左側には「月山」が雪嶺の雄姿を見せてくれる。庄内平野を地平の代田に映える穏やかな稜線は見あきることがない。夕刻の最上川の清逸もまた心に残る。
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みちのく(尿前の関)

「南部道遥かに見やりて、岩手の里に泊まる。小黒崎、美豆の小島を過ぎて鳴子の湯より「尿前(しとまえ)の関」にかかりて、出羽の国を越えんとす。この路旅人稀なところなれば、関守にあやしめられて漸として関を越す。」(奥の細道より)松尾芭蕉は1689年3月27日、江戸を発って5月4日仙台に着く。5月14日一の関を発って5月15日鳴子より「尿前の関」を越えて出羽新庄領に入る。尿前の関は現在国道より小さな坂道を下った鬱蒼とした杉木立の中にある。当時は仙台藩が常駐し、人、物の出入りに厳しい目を光らせていた。芭蕉も通過に難渋したようである。近くに2-3軒の民家があるだけで人影はまったくない。
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みちのく(金山町)

1868年仙台藩第六大隊長、染川播磨頼親(37歳)は官軍と戦いこの地で戦死。「積む雪に通路たえておのづからうき世をへだつ冬の山里」碑文が町のはずれに残されている。厳冬期は2m近くの積雪と聞く。この地で全く
偶然に驚いた。昭和38年大阪での入社の同僚が金山の出自である。地元では五指に入る素封家の後継者。残念ながら彼は今は逝き、自宅の大きな蔵が旧家の一部として残っているだけである。13代当主が建立した先祖の句碑が残されている。「ひとつづつ折戸からなる蛍かな」1724年「羽長坊」という先祖は俳諧に長けた人であったらしい。生憎この地金山を芭蕉は訪ねてきていない。
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2011年05月19日

みちのく(鳥海山)

鶴岡市羽黒町の「今井繁三郎美術館」を訪ねる。所属する公募美術団体の会長で91歳まで描き続け地元自宅に施設美術館を開設。NHK日曜美術館でも放映、気骨ある洋画家であった。羽黒山の麓、3町歩の広大な敷地のアトリエと2階建ての蔵を改造した美術館が樹林の中に点在。タクシーでこの不便な美術館にようやく辿りつく。天気の良い日であった。帰路は歩いてバス停まで歩く。かなりの距離であった。歩く背中に月山、向かいに
鳥海山を遠望し、この景色は2度と観ることはあるまいと思いながら歩き続ける。猪苗代に水が張り鳥海山の積雪が映える。美しい忘れ得ぬ景観であった。今日新庄まで帰らねばならぬ。バスにはなんとか間に合う。
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みちのく(月山)

羽黒山へ向かう途中にスキー場があり、そのロープウェイ乗り場から5月にスケッチした作品。残雪が残り、月山は日本百名山のひとつ、1984m、湯殿山1500m、羽黒山418m、これを出羽三山と呼ぶ。「月山」という小説で放浪の作家森敦が第70回芥川賞を受賞している。月山の麓の寺に入りこみ一冬を過ごし雪国の自然や村人を題材に生を追及した小説である。29歳の新井満氏がこの小説に感動し組曲を作曲。またこの小説は映画化もされている。この幽玄の「月山」を描きに今一度訪ねてみたい。
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2011年05月17日

奥の細道

「大山を登って日既に暮れければ、封人の家を見つけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。あるじ言う、これより出羽の国に大山を隔てて道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて超ゆべきよしを申す。」「蚤虱馬の尿する枕元」    「奥の細道より」
芭蕉は封人のこの家に2泊3日滞在。旧有路家住宅「封人の家」は今重要文化財として開放。300年近い建物。裏庭でスケッチを二枚ほど描く、雨が降り出し水彩が流れ出した。
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2011年05月13日

みちのくの春

「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり、舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらえて老いをむかうる者は、日々旅にして旅を栖とす」「奥の細道より」。日本の原風景、最上を訪ねる。秋田県境に近い最上郡金山町、残雪の鳥海山が雄大な田園風景に映える。息をのむほど美しい。「多分あど百年たってもな〜んも変わらぬ風景だべなあ、おらの町さ来てみらっせ」地元の人は言う。
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