2011年12月28日

「孫と包丁」

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「肥後の守」
孫が郡上の山里に住んでいる。4歳の時包丁で野菜を山から引いた水辺で洗って切っていた。一瞬どきりとしたが、ゆっくりとした動作で心もとなくも切っている。それでも手を切るのではと心配の気は消えない。よく考えてみれば万が一間違っても指を落とすわけだはあるまい。
孫は箸の持ち方が実にうまい。ごはん、うどん、等々茶碗で実に綺麗に食べる。二番目の孫も食べ方が綺麗である。幼少からの遊びから自然と身に着いたものなのであろう。
私の幼年時代、「肥後の守」の小刀を持つことが当たり前であった。これがなかったらどんな遊びもままならなかった。手を傷つけたことも幾度もあり、石で研いでぼろぼろなるまで使用した。里山に入ったらこの「肥後の守」がなければ何もできなかったのである。「肥後の守」で他人を傷つけた事件を聞いた記憶も全くない。本物の「肥後の守」は実に丈夫であった。
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「普賢岳の被災記念物」

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「普賢岳の記念物」
NHKの「心の旅」で火野正平が島原半島を訪ねた時普賢岳の噴火土石流で埋まった民家を目にして
この民家は移設したのだろうと云った。普賢岳は遠くに眺望できる。民家は屋根下まで土石で埋まっている。この地にあった民家で、被災地の記念碑の一つとして残されているということであり、火野正平もびっくりしていた。これほど生々しい記念碑はあるまい。噴火の恐怖をそのまま再現している。
被災者にとって毎日目にするこの民家はつらいことであったろうと思う。しかし自然の脅威はあっという間に風化してしまう。それだから人間は頑張れることもできる。
東日本被災記念碑で美しい鐘が建立された映像を見た。少々違和感を覚えた。100年後にまた同じ災害が発生しないとも限らない。文字、写真は残るが人々が見ないと意味がない。後世のためにもっと風化しない記念物を創造するべきであろう。現に石碑より上に家を建てて津波からまぬがれた住民がいるのである。
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