2011年05月26日

みちのく(イザベラ・バード)

この小学校を卒業した友人によると校舎と運動場は50年前と少しも変わっていないという。大きな樹木が芽吹き、新緑の枝を一杯に伸ばしている。1878年イギリスの女性旅行作家、イザベラ・バード(40歳)がこの地を訪ねる。「今朝新庄を出てから険しい尾根を越えて非常に美しい風変わりな盆地に入った。ピラミッド形の杉の林で覆われ----その麓に金山町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。」(日本奥地紀行)に記している。7月16日にこの地に滞在。虫に刺されて新庄の町で医師の治療を受ける。治療代に1円支払い、医師がびっくりしたと記している。イザベラは明治11年6月より3カ月かかって東京から北海道まで旅を続ける。小学校の前にイザベラ訪問の記念碑が建っている。
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みちのく(立石寺)

「立石寺」は仙台から山形へ向かうJR仙山線の途中にある。「山寺駅」下りて徒歩7分の距離、車窓からも見える。奥の院まで1015の石段、天台宗創建860年、「山形領に立石寺という山寺あり。慈覚大師の開基にして特に清閑の地なり。一見すべきよしひとびとのすすむるによりて、尾花沢よりとって返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず麓の坊に宿かり置きて山上の堂にのぼる」
「閑さや岩にしみいる蝉の声」 「奥の細道」より
今回の震災で山寺に被害はなかったのであろうか。津波に飲み込まれた仙台空港へ行くのに2年前この山寺を後にした記憶が甦る。
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2011年05月25日

みちのく(最上川)

芭蕉は1689年5月27日尾花沢を発って、山寺に向かい天童を通って大石田に向かう。6月1日大石田を発って新庄へつく。新庄から最上川を下る。「五月雨をあつめて早し最上川」
新庄から日本海の酒田へのJR線は最上川に沿って走るローカル線、ゆったり流れる緑色の最上川は実に美しい。酒田に近づくと車窓の右には「鳥海山」左側には「月山」が雪嶺の雄姿を見せてくれる。庄内平野を地平の代田に映える穏やかな稜線は見あきることがない。夕刻の最上川の清逸もまた心に残る。
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みちのく(尿前の関)

「南部道遥かに見やりて、岩手の里に泊まる。小黒崎、美豆の小島を過ぎて鳴子の湯より「尿前(しとまえ)の関」にかかりて、出羽の国を越えんとす。この路旅人稀なところなれば、関守にあやしめられて漸として関を越す。」(奥の細道より)松尾芭蕉は1689年3月27日、江戸を発って5月4日仙台に着く。5月14日一の関を発って5月15日鳴子より「尿前の関」を越えて出羽新庄領に入る。尿前の関は現在国道より小さな坂道を下った鬱蒼とした杉木立の中にある。当時は仙台藩が常駐し、人、物の出入りに厳しい目を光らせていた。芭蕉も通過に難渋したようである。近くに2-3軒の民家があるだけで人影はまったくない。
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みちのく(金山町)

1868年仙台藩第六大隊長、染川播磨頼親(37歳)は官軍と戦いこの地で戦死。「積む雪に通路たえておのづからうき世をへだつ冬の山里」碑文が町のはずれに残されている。厳冬期は2m近くの積雪と聞く。この地で全く
偶然に驚いた。昭和38年大阪での入社の同僚が金山の出自である。地元では五指に入る素封家の後継者。残念ながら彼は今は逝き、自宅の大きな蔵が旧家の一部として残っているだけである。13代当主が建立した先祖の句碑が残されている。「ひとつづつ折戸からなる蛍かな」1724年「羽長坊」という先祖は俳諧に長けた人であったらしい。生憎この地金山を芭蕉は訪ねてきていない。
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2011年05月20日

筍を貰った、旬も峠を越したか。裏山ももとは鬱蒼たる竹林であったが伐採、マンションが建った。日本の竹林面積は平成元年に比37%も減少。竹の北限は日本、孟宗竹は北海道になく妻の里の土産に筍を持参した。日本には30種類ほどの竹があるがメインは孟宗竹とマダケ、孟宗竹は67年、マダケは120年に一回開花して枯れる。昭和40年代に世界的にマダケはいっせいに開花したらしい。10年ほど前に岐阜県で開花を見たことがあるが種類の異なる竹であったのかしれない。何で半世紀以上も開花しないのか。開花にどんな意味があるのか。一年の四季とは関係なく地球上に発生した植物の生成に関係し、実に長いスパンで命をはぐくんでいる。一方孟宗竹の24時間成長世界記録は119cm、日本でも88cmが記録されている。この時間の意味をどう解釈したらよいのか。人類の進歩なんてたかがしれているような気がする。
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2011年05月19日

みちのく(鳥海山)

鶴岡市羽黒町の「今井繁三郎美術館」を訪ねる。所属する公募美術団体の会長で91歳まで描き続け地元自宅に施設美術館を開設。NHK日曜美術館でも放映、気骨ある洋画家であった。羽黒山の麓、3町歩の広大な敷地のアトリエと2階建ての蔵を改造した美術館が樹林の中に点在。タクシーでこの不便な美術館にようやく辿りつく。天気の良い日であった。帰路は歩いてバス停まで歩く。かなりの距離であった。歩く背中に月山、向かいに
鳥海山を遠望し、この景色は2度と観ることはあるまいと思いながら歩き続ける。猪苗代に水が張り鳥海山の積雪が映える。美しい忘れ得ぬ景観であった。今日新庄まで帰らねばならぬ。バスにはなんとか間に合う。
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みちのく(月山)

羽黒山へ向かう途中にスキー場があり、そのロープウェイ乗り場から5月にスケッチした作品。残雪が残り、月山は日本百名山のひとつ、1984m、湯殿山1500m、羽黒山418m、これを出羽三山と呼ぶ。「月山」という小説で放浪の作家森敦が第70回芥川賞を受賞している。月山の麓の寺に入りこみ一冬を過ごし雪国の自然や村人を題材に生を追及した小説である。29歳の新井満氏がこの小説に感動し組曲を作曲。またこの小説は映画化もされている。この幽玄の「月山」を描きに今一度訪ねてみたい。
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2011年05月17日

奥の細道

「大山を登って日既に暮れければ、封人の家を見つけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。あるじ言う、これより出羽の国に大山を隔てて道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて超ゆべきよしを申す。」「蚤虱馬の尿する枕元」    「奥の細道より」
芭蕉は封人のこの家に2泊3日滞在。旧有路家住宅「封人の家」は今重要文化財として開放。300年近い建物。裏庭でスケッチを二枚ほど描く、雨が降り出し水彩が流れ出した。
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2011年05月13日

みちのくの春

「月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり、舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらえて老いをむかうる者は、日々旅にして旅を栖とす」「奥の細道より」。日本の原風景、最上を訪ねる。秋田県境に近い最上郡金山町、残雪の鳥海山が雄大な田園風景に映える。息をのむほど美しい。「多分あど百年たってもな〜んも変わらぬ風景だべなあ、おらの町さ来てみらっせ」地元の人は言う。
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2011年05月12日

新庄市金山の春

金山の地名は戦国末期まで栄えた銀山に由来する。今も「谷口銀山跡」の坑道が残る。この町には商店街がなく
,神室山の森林と広大な田圃に抱かれた美しい町並みがある。樹齢250年を超す「金山杉」の巨木の森に囲まれた静かな山里の朝は早い。庄内米の代田に水が張り、蛙が啼き、遠くで耕運機の音、足元には山菜が一気に芽吹く。「あいこう」と呼ばれる土地の塩茹での山菜はいくら食べても飽きが来ない。遠景に遅い八重桜が新緑の山里に色を添えている。山里は深々として暮れゆく。この町で友人の実家は有名な料亭であった。小学生までこの地で過ごした。木造の小学校が今も残っている。
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2011年05月11日

東北の春

DSC01294.JPG2年ほどまえ友人に誘われて山形を訪ねた。彼の故郷の金山町の山小屋で1週間ほど滞在。田植えの準備の時期で残雪の鳥海山を背に広がる田園風景は感銘を受ける日本の原風景であった。山菜に堪能、古湯巡り、木造の家並み、「奥の細道」の古道、実にこころの豊かさが身に沁みた旅であった。画友の故郷、会津にも立ち寄る予定であったが都合で仙台空港から帰阪した。画友は長寿を全うし今は鬼籍、金閣寺の近くの墓地に眠っている。貰った会津の地酒は美味しかった。今福島は天災と人災の災禍に予測も立たぬまま苦しんでいる。今一度東北を歩いてみたい。
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2011年05月07日

銀杏の花

ようやく初めて銀杏の花に出会った。ちょうど銀杏の葉が芽ぐむ4月下旬ごろ雌雄株の花が咲く。散歩舗道の樹木の下に小さな雄花が一杯落下、今まで舗道を敷き詰めた白い花が銀杏の花とはつゆ知らず。この花粉が飛んで雌株の花に受粉する。雌株の花を見つけるのが一苦労。毎年銀杏の実を一杯つける樹木にこの雌花が見つからぬ。どうも解せぬ。ようやく新芽の間から伸びた雌花らしいものを見つけた。7-8月ごろになるとはっきりするかもしれぬ。受粉した雌株は精子ができて受精、実をつける(この精子は日本人が発見した)。散歩が楽しみ。
しかし雄、雌株をどうして区別するのか。葉っぱも一緒、幹に差異も見られぬ。銀杏の実の形に差異があるとも言われる。実から出た芽は雄をどうして決定するのか、何で異種株ができたのか。神のみぞしるか。人間も異種株、人は妊娠して3け月ぐらいから女性から男性へ変異するらしい。男性は女性に造形されるのである。銀杏の雌雄の外見は全くわからぬ。  DSC01286.JPG
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2011年05月02日

水仙の花

先日万博公園に出向いたらチュウリップが満開、されどどうも人工的な色彩と形に馴染めない。薔薇の花も最近種類が多く凛とした高貴さがない。それに比べて路傍の木陰をいとわず春雨に濡れ震えて咲く水仙はその白い花びらが楚々として好きである。4/27宮城県の被災地を訪問された妃殿下に、被災者の女性が庭に咲いた「水仙」の小さな花束を贈呈、東京まで大事に持ち帰られたという。どんな豪華な花束よりも被災地を見舞われた妃殿下にもっともふさわしい花ではなかったかと見ていて感動した。グリーン、ホワイト、イエローこのシンプルな水仙の花、春の到来を先取りするこの野辺の花、何か最近こころ惹かれる。
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