2011年04月30日

根尾谷の薄墨桜

2年ほど前に岐阜県本巣市にある「薄墨の桜」を4/17頃だったと思うが訪ねたことがある。これはこの時の和紙に描いた作品。樹齢1500年以上。戦後枯死寸前になり岐阜市の医師前田利行氏が238本の根継をして再生。隣には移植された子供の木も大きく育っている。多くの添え木に支えられた古木は満開とは言え実に痛々しかった。時代と風雪に耐えてよくぞ生き延びてきたものである。人間はたかだか300年の災禍さえ忘却の彼方へ平気で押し流してしまう。咲く花びらは小さく青みを帯びて、この巨木にささやかな生気を与えている。
なんと神々しくて痛々しい姿であろうか。「ソメイヨシノ」の花がなんとなく鼻につくようになったのは、あるいはこの「薄墨の桜」を観てからなのかも知れない。
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2011年04月27日

芽吹き

近くの古団地が取り壊されて造成が始まった。1年前から杉、桜、銀杏の木々が伐採。20年前から見続けてきた風景が一変している。転居当時の古い駅舎も今はない。伐採された銀杏の小枝をもらい花瓶に挿したら新芽が出てきた。根はなくとも枝には開花の準備が整っていた。銀杏は雌雄異株、4-5月に新芽がでて開花する。
いつも小さな銀杏の新芽に春の到来を感じるのに花を見た記憶がない。今年はなんとか花を見たいと楽しみにしている。雄株から飛散した花粉で雌株が受粉し実をつける。不思議な植物で精子を持っている。この精子は日本人の平瀬作吾郎(東大)が1896年に発見。樹木で雌雄をどうして区別するのであろうか。秋の銀杏の実がみのるころでないと雌雄が分からない。DSC01264.JPG
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2011年04月24日

山桜

車窓から眺める浅黄色の山腹の山桜は実に美しい。今思ったことではないが、緑の葉っぱ一枚ない枯れ木に人工的に白い紙きれを思いっきりくっつけたような一様なソメイヨシノの桜に、違和感を覚えるようになった。なにかみずみずしさを感じないのである。桜守の佐野藤右衛門さんの記述を読んでその理由が分かった。ソメイヨシノは桜のうちにいれていないと言う。びっくり。明治初期東京の染井村でエドヒガンとオオシマザクラの雑種として売り出された。奈良の吉野と区別するため「ソメイヨシノ」と命名。クローン桜で一代限りめしべは退化、花粉も実もない。自生もできない。佐野さんは全国チェーン見たいなもの喝破。寿命は100年が限度といわれる。
ソメイヨシノにはその土地の風土にねざした一本一本の個性は皆無なのである。そう思えば小鳥も寄りつかない
桜に、人工的な思いを感じたのはウソではなかったのである。これから全国の古木のソメイヨシノは枯れる運命にあるのかもしれない。
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2011年04月21日

春よ来い

DSC01259.JPG桜前線は北上中、大阪の桜は散ってこれから葉桜の季節。楠は春になると葉を落として新芽を出す。根元は春なのに落ち葉で
一杯。紅葉も新芽に隠れて紅い花が咲き出す。不思議な花だ。植物は休むことなく日々生成をはぐくんでいる。
桜は花が散れば来年の花の準備に取り掛かる。一時も休むことはない。東北の震災地に早く春が来ることを祈る。原発事故は人災の疑いも出てきた。天災の過去の史実にわれ関せずと目をそむけてきた。生きている自然との付き合い方を傲慢にも失念してきた。史実をみれば想定外などあり得ない。
紅葉の花の美しさに感動する。

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2011年04月14日

東日本大震災

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家族、家、家財すべてを喪失。まるで戦災、しかし天災では責める相手はいない。黙々と耐え続ける。古から東北に住み着く神々よ応えてくれ、何の因果か。耐え続ける背骨は今にも折れてしまいそう。とぼとぼと家族の一片を探して彷徨する。怒りと悲しみの涙も枯れてしまった。
残されたのは塩害の土地、今は清逸な海と山。郷土の海と山よ、すべての郷土の神々よ、東北の民人に光を与えてくれ。

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2011年04月13日

日本列島

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先進国でこれだけ自然災害の多い国は少ない。大津波は今回が初めてではない。18世紀にポルトガルで大地震でリスボンが壊滅したことがあるが、戦争は兎も角、日本ほど自然災害の多い国はない。今も日本列島は余震が絶えない。北から南まで火山噴火の被害も絶えない。しかし災害列島から逃げ出す日本人はいない。災害の都度黙々と復興に精を出してきた。なぜなら日本ほど美しい国はない。森林、水、海、温帯の動植物、これほど恵まれた国はない。明治、大正時代、日本を訪問した欧米人が日本の風景を「桃源郷」を見るようだと記している。
頑張らなくてよい、自然と共生してきた日本文明を誇りに思ってこれからも生きていきたい。
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2011年04月08日

東日本大震災の痛ましさ


002.JPG東日本大震災はもうすぐ1ケ月になろうとするのに毎日毎日
被災者の痛ましい報道ばかり。梅棹忠夫は「文明は装置と制度」言っている。また装置を軽くすることはできないか問うている。原発事故はいまだ修復の目途もない。繰り返される天災にこの日本文明は成すすべがない。日本文明を築きあげた日本に何でこれほどまでの天災が多いのであろうか。自然への対応を問い直す日本文明の亀裂を迎えたのかも知れない。いつもの魚屋が消失、茫然自失の老女の眼は遠い海の彼方を見ているのか。80余年の生活はすべて海に消えた。
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太陽の塔と民博


001.JPG今民族博物館で初代館長「梅棹忠夫」展開催中。「文明の生態史観」に感銘を受け「みんぱくセミナー」に出席、40回目、200回近い受講者もあり自慢できることではないが第一線の研究者のセミナーは毎回好評。岡本太郎は万博のテーマ「人類の進歩と調和」には心から賛同はしていなかったようだが、万博総合プロジューサーを引き受け太陽の塔を創った。万博が終わると「太陽の塔」は取り壊される予定であったが梅棹忠夫が保存支援に動いたといわれている。岡本太郎は縄文土器にも強い関心を持ち、東北地方の大地震の被災者にはこの太陽の塔が強いエールを送っているように思えてならない。
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2011年04月06日

太陽の塔


DSC01165.JPG今年は岡本太郎生誕100周年。2月に南青山の岡本記念館を訪ねたがキャンバスは一杯山積みされているのに油彩画が見られず残念であった。3月みんぱくセミナーの折、紅梅の空に
輝き屹立する「太陽の塔」、当時万博のテーマ「人類の進歩と調和」にそぐわない異物の感があったが、何か今も生き成長続けているすごさを感じる。現代の埴輪かもしれない。
現代彫刻の記念塔であれば来場者がこれだけしげしげと見上げることはなかろう。中には東北震災支援の嘆願をお願いしている人がいるのかもしれない。
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